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Webの世界への転向【プロフィール④】

前回から随分間が空いてしまいましたが、プロフィールの続きです。笑

ようやく職場にPCが入って、ITに近づき始めたところまでが前回。

担当営業からWeb転向へのきっかけ?【プロフィール③】

東京の自動車部品課でのPC導入が上手くいくと、本社、名古屋支社も含めて営業部全員にPCが支給され、そうこうしているうちに奈良工場に、システム課が出来て、本格的にITに向き合うようになってきました。
このころはまだ、主にサーバーの管理が中心で、まだ本社、支社をつなぐような広域LANの構築までは至っていませんでした。
連絡は主にメールでしたね。

でも、デスクワークの環境は劇的に変わりました。
それまでは、取引先とのやりとりはFAXと電話。FAXはモノクロですし、画像も荒かった。
それが、メールでのやり取りが中心になり、電話は緊急の時くらいなもの。鮮明な画像も添付できました。
(といっても500KBくらいなものが限界でしたが 笑)

このころ、私は個人ではすでにプロバイダ契約をして、ISDNを引いて、インターネットにつながる環境にありました。
ただ、Webサイトの閲覧のほかは、いわゆるパソコン通信でコミュニケーションを取っていました。

パソコン通信と聞いて、今の方は???となるかと思います。笑
パソコン通信は、ホストサーバーに専用アプリケーションでインターネット回線を通じて接続して、ホストサーバーの中でやりとりをするというもの。
今のSNSはHTMLをベースにしていることから、基本的にブラウザ上で様々なサービスを使えますが、パソコン通信は別のサービスを使用するためには、一度回線を切って、目的のサービスのホストサーバーにつなぎ直さなければならない点が最も大きな違いです。

愛車でスバル レガシィRS(ツーリングワゴンではなくスポーツセダンです)に乗っていたこともあって、スバルのオーナーズクラブに入っていたのですが、そのクラブがNifty-ServeのPatio(小会議室)を持っていて、そこで日々やり取りをしていました。

そうしているうちに、だんだんWebサイト(その頃はホームページと呼ぶのが一般的でしたね 笑)も増えてきて、検索エンジンも登場してきます。
一番最初は今も愛好者の多いYahoo! Japan、それを追うようにgooやInfoseekといった検索エンジンが乱立してきました。

当時インターネットと言えば、「全世界につながっている!!なんだって出来る!!」的な印象でしたが、それが間違いだと気が付くのはずっとずっと後の話です。笑

でも、インターネットは今までない概念のもので、限りない可能性を感じていたのは確かです。
その新しい世界でクリエイティブなことをしたいと考えるようになっていました。

企業はこぞって自社ホームページを作り始め、Web制作会社も雨後の筍状態。
インターネットに興味のある人間でしたら、みんなワクワクしていました。
もちろん、私もその一人。

そろそろ結婚しようかという時期でしたが、一攫千金狙いも半分あって、ついにWeb業界に転職します。
初めて転職あっせん会社に申し込み、いくつか面接も受けましたが、基本的にはエンジニアが求められていました。
私は、文系の営業出身。当時素人でもHTMLを平打ちしてWebサイトを作る人もいましたが、私は未経験でした。
なかなか受け入れてくれる会社はありませんでした。

それでも、転職活動を始めて3か月ほど経ったころ、ある会社に面接に行ったところ、なんとその場で内定。
香港の投資家が資本を出し、Web制作においてまだ発展途上だった日本市場に打って出たとのことで、営業職が欲しいと。
オフィスは青山の骨董通りでしゃれたもんです。
ちょっと上手く行き過ぎ?と思いながら、ともかくつかんだチャンスだと思い、その気に転職を決めました。

これが、その後の波乱万丈(?)な人生の幕開けでした。笑

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