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担当営業からWeb転向へのきっかけ?【プロフィール③】 | Produce4
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担当営業からWeb転向へのきっかけ?【プロフィール③】

タイミングベルト専門メーカーで、自動車メーカー担当営業が社会人最初のキャリアでした。前回までのお話はこちら。

メーカーでの仕事【プロフィール②】

ユニッタでの仕事は、クルマ好きの私にとっては面白いものでした。
なにせ、4年、6年先に世に出てくるであろうクルマの初期開発段階から見ていけるというのは、そうそう出来る体験ではありません。
話始めれば、それこそ何年かかるかわからない、というくらいなので、その辺はトピックス的に追々お話していきましょう。

さて、営業とされていても、その業務は一般に言う物を販売するセールスとはかなり趣きが違います。
いわゆる担当営業というヤツで、その大きな任務は担当メーカーのエンジン開発に関する情報(特に先行開発)をつかんでくること。
研究実験部門や設計部門に足しげく通い、何が開発されようとしているのか、どの方向でどの程度進んでいるのか、いろいろな話の中からヒントを拾ってきます。
それを、報告書にして本社および奈良工場の技術スタッフに伝え、新車種に対する技術プレゼンの段取りを組んでいきます。

また、奈良工場の技術スタッフの担当メーカーでの試作品評価などの技術打合せにも立ち会い、いろいろセッティングしながら開発を詰めてゆきます。

そうしてようやく量産試作が近づいてくると、今度は担当メーカーのエンジン工場で生産技術部門との打合せが本格化してきます。
この段階になると技術要件は詰められているので、段取り重視になりますので営業担当一人で対応することになります。

量産試作が終わると今度は先行量産。ある程度のまとまった量を生産ラインに流して、量産の最終チェックを行います。
ここで、こちら側の納入体制の確認(新たな品番と予定納入量とスケジュールなどなど)を、今度は契約している運輸会社と詰めてゆきます。

そして、重要なのが値決め。
担当メーカーの購買部門との折衝です。これが第二の大きな任務になります。
自動車メーカーは、年2回春と秋に部品メーカーに対してコストダウンを要求してきます。(これは正直悪しき習慣だとは思いますが`…笑)
それを見越した価格設定にするのですが、当然メーカー側にも予算計画があります。そことのせめぎ合い、鍔迫り合いになるわけです。
この交渉は結構タフなものですが、それをすり抜ける瞬間は快感でした。

そんなこんなで、量産が始まってからもいろいろあります。
まずあってはならないのですが、それでも年に1,2回あるのですよ。不良品対応。
奈良工場からの連絡の場合もありますし、担当メーカーのエンジン工場からの場合もありますが、ともかく不良品混入の知らせが入ると、一番先に走るのが担当営業です。
ともかく、まずデポに走り、在庫の中から当該ロットでないものを1日分社用車に積み込んで、エンジン工場のラインに飛び込みます。
そこにあるベルトを持ってきたものに取り替えて、ラインの脇でロット確認。
デポへ取って返して、在庫の当該品番ベルトを出してもらうよう頼みます。
そうして翌日、課員総出でデポでベルトの検品。ほぼ一日がかりです。
該当するものがあれば、奈良工場へ戻す段取りを組んで、ひとまず初期対応終了。
その後に、技術報告書などの説明資料をもって、購買、品質管理、生産技術、必要であれば研究実験、エンジン設計にも回って、事の顛末と対策を説明します。

このほか、試作品の受発注管理なんかもやります。
ベルトの試作は奈良工場に頼めばよいのですが、プーリー(ベルトを受ける歯車の方)については、東京の町工場で削り出しのワンオフなのです。
町工場の職人さん達はそれはそれでアクが強くて、苦労しました。笑
でもそこは職人。ミクロン単位の精度で仕上げてくれるのは大したものです。

とまあ、書き始めるときりがないので、この辺にしますが、そんなこんなな感じで走り回っている頃、世間ではインターネットがようやく一般市民にも降りてきました。

私が入ったばかりの頃は、まだ電話とFAXだけで客先と連絡を取っていましたし、年間予算を立てる際も計算機で手計算、手書き記入な状態。

ある日、父親が自分の使っていたラップトップPC(NECのPC-9800Ne デカかかった 笑)を譲ってくれたのです。
当時、私はデスクトップPCは持っていまして、MS-DOSは使えたんです。
もういいかげん年間予算の縦計・横計が合わないのにも辟易してましたので、これを利用しない手はない!とラップトップPCをオフィスに持ち込んだのです。

まだWindowsは出ておらず、MS-DOSで表計算をして予算表を組みました。
それを見ていていた先輩、課長もこれは便利だ!と感心しきり。
しかしながら、MS-DOSは基本的にコマンドを打ち込んで動かすもので、PCに触れたことのない人にとってはまだまだハードルの高いものでした。

そうして、ついにWindows3.1がリリースされて、いよいよ一般にもPCが身近なものになってきました。
当時、持ち込んでいたラップトップPCを見た部長が興味を示していたので、実験的に東京自動車部品課にPCを導入してはどうかと、部長へ直訴してみたら、結構あっさりとOK。笑 機種選定から運用指導まで任されました。

秋葉原に行って実機を見て、カタログを集め、そうしてなぜか選定したのがOliivetti(オリベッティ) ECHOS 24C !!笑

当時としては斬新なデザイン、手頃な価格、小型軽量ということで、このイタリア製PCが5台やってきたのでした。
しかし、最初は戸惑いました。
何せ、Windowsは裏側で何が起きているのかわからない!!
MS-DOSはコマンドが走ればその結果を逐一返してくるし、間違っていればその時点でエラーが出るのでわかりやすい。
しかし、Windowsはマウス操作は画期的に使いやすい反面、思った結果にならないときに、何が悪いのか、どうしていいのかさっぱりわからないんです。
ああでもないこうでもない、と弄り回して、日本語表示にするのに三日かかりました。笑

でも、まあ、ある程度分かってしまえば、そこからはサクサクと。笑
数か月後には課長も含め課員全員、PCで報告書を作成していました。

そうして、世の中にインターネット普及し始めました。
だんだんうずうずしてきました。笑

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