最初に入った会社【プロフィール①】
私の経歴と言いますか、プロフィール開始です。笑
大学を卒業して営業職で入社したのは㈱ニッタというベルトメーカーでした。
工業用ベルトを中心とした創業130年を超える老舗メーカーです。
詳しくは公式ページで。
本社は大阪、工場は奈良。奈良工場で3ヶ月の研修を受けて配属になったのは、子会社の㈱ユニッタ(現ゲイツ・ユニッタ・アジア㈱)の東京支店でした。
このユニッタという会社、タイミングベルトの専門メーカーで、主力は自動車エンジンのカム駆動のタイミングベルトで、日本国内の自動車メーカー9社すべてへ納入しており、当時は全エンジンの4割にユニッタのタイミングベルトが載っていました。
その辺も詳しくは、公式ページで。笑
子会社と書きましたが、ニッタ内での扱いは一事業部的な感じで、しかも自動車メーカーを相手にしているということで、グループ内での稼ぎ頭的存在でした。
私自身、クルマは大好きでしたので、研修の時点からユニッタの自動車部門に行ければいいなぁ、と漠然と思っていたのですが、配属先が決まった時には驚きました。
東京面接だったので、東京支店配属は決定事項でしたが、配属先は営業部東京自動車部品課、しかも担当はスバル(富士重工業)!!
父親の影響もあり、私も生粋のスバリストで、当時はレガシィ セダンRSに乗っていましたので、ここまで希望の部署・担当なのか!と小躍りしたのを覚えています。
なんでも、ちょうど東京自動車部品課のスバル担当が退職してしまって席が空いていたところに、東京支店希望の営業の新人がスポッとハマったのでした。笑
東京支店に配属されて、まず1週間は課長と客先への顔合わせです。
富士重の三鷹の東京事業所で、エンジン設計、研究実験といった技術設計部門の担当者、群馬県太田市の群馬製作所で購買の担当者、お隣の大泉市の大泉製作所で品質保証やライン関連部門の担当者にご挨拶。
とにかく引きずり回されて、たくさんの人たちと名刺交換をして….。
一通り顔合わせが済むころには、各部門から問い合わせや打合せの連絡が入り始めます。
そんな中、課長が一言、「今日から一人でね♡」
!!!!!!!
まだ右も左も判らんのに、しかも相手は一度しかあったことのない客先の担当者!!??
配属されてまだ1週間ですよぉおお!!!!
涙目にながらに行きましたよ。
相手の技術者さんの話を必死でノートにメモりました。
クルマ好きでしたから、なんとなく言っている内容は理解できましたが、それでも半分何だかよくわからないまま、会社に戻ってノート何枚分にもなったメモを見ながら日報を、これまた必死に書いたのを覚えてます。笑
そんな感じで、社会人としてのスタートを切ったのでした。
つづく 笑
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